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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)4388号 判決

原告(反訴被告)

田中〆子

右訴訟代理人弁護士

芹沢孝雄

相磯まつ江

被告(反訴原告)

北一興業株式会社

右代表者代表取締役

杉浦津恵子

右訴訟代理人弁護士

鈴木七郎

主文

一  被告(反訴原告)は原告(反訴被告)に対し、金二二三万一六三〇円及びこれに対する昭和五六年九月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告(反訴被告)のその余の請求を棄却する。

三  被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。

四  訴訟費用は、本訴について生じた部分はこれを二分し、その一を原告(反訴被告)の負担とし、その余は被告(反訴原告)の負担とし、反訴について生じた部分は被告(反訴原告)の負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  本訴請求の趣旨

1  被告(反訴原告)は原告(反訴被告)に対し、金五八九万一九六三円及びこれに対する昭和五六年九月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告(反訴原告)の負担とする。

3  仮執行宣言

二  本訴請求の趣旨に対する答弁

1  原告(反訴被告)の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告(反訴被告)の負担とする。

三  反訴請求の趣旨

1  反訴被告(原告)は反訴原告(被告)に対し、金三六万七六七〇円及びこれに対する昭和五七年一月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は反訴被告(原告)の負担とする。

3  仮執行宣言

四  反訴請求の趣旨に対する答弁

1  主文第三項と同旨

2  訴訟費用は反訴原告(被告)の負担とする。

第二当事者の主張

一  本訴請求原因

1  当事者

(一) 被告(反訴原告。以下単に「被告」という)は、飲食店、簡易料理店及び風俗営業バー等の営業を目的とする株式会社である。

(二) 原告(反訴被告。以下単に「原告」という)は、昭和四三年六月一三日、被告に雇用された。

2  退職金請求

(一) 被告は原告に対し、右雇用に際し、二年以上勤務した場合には勤務期間一年につき退職時の賃金一カ月分の割合で計算した退職金を支払う旨を約した。

(二) 原告は、被告の経営する飲食店「クラブ鶴」の責任者として勤務したが、昭和五六年八月三一日右「クラブ鶴」の閉鎖と共に被告から解雇された。

右解雇時の原告の賃金は月額金二七万八〇〇〇円であった。

(三) そうすると、前記約定により、原告は被告から右勤務期間一三年二カ月に応ずる退職金三六六万〇三三三円の支払いを受ける権利を有する。

(四) よって、原告は被告に対し、右退職金の支払を求める。

3  賃金請求

(一) 被告は、右「クラブ鶴」の外、飲食店「新まき」を経営していた。原告は、被告の懇請により、昭和五五年一月七日から、前記「クラブ鶴」への勤務をするかたわら、「クラブ鶴」の勤務時間以外の時間に、右「新まき」にも責任者として勤務を始めた。その際被告は、原告に対し、当時支給していた賃金とは別に、「新まき」での勤務に対して世間相場程度の賃金を支払う旨を約した。

(二) 原告は、右「新まき」が閉鎖された昭和五六年五月三一日まで同店に勤務した。

(三) ところで、右にいう「世間相場」とは、全産業女子労働者の賃金の平均額によるべきところ、昭和五五年度における右賃金の平均額は月額金一五万二九〇〇円である。よって、原告は被告に対し、右により計算した昭和五五年一月から昭和五六年五月までの一七カ月分の賃金二五九万九三〇〇円の請求権を有する。

(四) 仮に、右賃金支払いの合意がなかったとしても、原告は被告に対し、労働基準法三七条に基づき、次のとおり時間外労働賃金を請求する権利を有する。すなわち、原告は、昭和五五年一月七日から昭和五六年五月三一日までの間、「新まき」において、日曜日及び祭日を除き、毎日、「クラブ鶴」の勤務時間(午後五時から午後一二時まで)外である午前八時から午後三時までの七時間勤務をした。原告の時間外労働時間(すなわち「新まき」での労働時間)は、一日七時間、一週間当たり四二時間、一カ月(平均四週間と計算して)当たり一六八時間となる。ところで、原告が、「クラブ鶴」の勤務について被告から支給されていた賃金は月額二七万八〇〇〇円であるから、(「クラブ鶴」に月平均一六八時間勤務したものとして計算すると)その一時間当たりの賃金は金一六五五円となる。従って、原告は被告に対し、一時間当たり一六五五円として一カ月当たり一六八時間分二七万八〇〇〇円の時間外労働賃金を請求する権利を有するので、その内金として、前記(三)記載の一カ月当たり一五万二九〇〇円の一七カ月分二五九万九三〇〇円について権利を主張する。

(五) 原告は、昭和五六年七月から一二月にかけて「クラブ鶴」の顧客に対する売掛代金三六万七六七〇円を集金したが、これを被告の承諾を得て右(三)の賃金債権の一部に充当したので、賃金債権の残額は金二二三万一六三〇円となる。

4  よって原告は、被告に対し、前記退職金三六六万〇三三三円及び賃金(若しくは時間外労働賃金)金二二三万一六三〇円の合計金五八九万一九六三円並びにこれらに対する各弁済期の後である昭和五六年九月一日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  本訴請求原因に対する認否

1  本訴請求原因1の事実は認める。

2  同2について

(二)の事実は認めるが、(一)は否認する。

3  同3について

原告が昭和五五年一月七日から同五六年五月三一日までの間、被告の経営する飲食店「新まき」に責任者として勤務をしたこと及びその当時原告が被告から支給されていた賃金が月額二七万八〇〇〇円であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  反訴請求原因

1  被告は、飲食店、風俗営業バー等の営業を目的とする株式会社であり、原告は、もと被告の従業員であって、被告の経営する飲食店「クラブ鶴」の責任者として、客の接待、従業員の監督、売掛金の集金等の業務に従事してきた。

2  原告は、「クラブ鶴」の顧客から、被告のために、昭和五六年七月上旬に金二〇万円、同年九月二九日に金七万円、同年一〇月三〇日に金七万円、同年一二月上旬に金一〇万円及び同月二六日に金一四万七六七〇円(以上合計金五八万七六七〇円)の売掛金を集金した。

3  原告は、集金をした売掛金を直ちに入金しなければならないにもかかわらず、右集金にかかる売掛金のうち金二二万円を入金したのみで、その余の入金をしていない。

4  よって、被告は、原告に対し、右集金をした売掛金の未入金分として、金三六万七六七〇円及びこれに対する各弁済期経過後である昭和五七年一月一日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

四  反訴請求原因に対する答弁

反訴請求原因1及び2の事実は認める。

五  反訴についての抗弁

原告は、反訴請求原因記載の集金をする毎に、被告との間で、右集金をした金員は本訴請求原因3記載の「新まき」の賃金に充当する旨合意し、この合意に基づき、原告は、右集金に係る金員三六万七六七〇円を未払賃金の一部に充当した。

六  反訴抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠(略)

理由

(本訴請求について)

一  被告が飲食店、簡易料理店及び風俗営業バー等の営業を目的とする株式会社であること、原告が、昭和四三年六月一三日に被告に雇用され、同五六年八月三一日まで被告の経営する飲食店「クラブ鶴」の責任者として勤務したが、同日解雇されたこと、その当時原告が被告から支給されていた賃金は月額金二七万八〇〇〇円であったこと、また原告は昭和五五年一月七日から同五六年五月三一日まで同じく被告の経営する飲食店「新まき」にも責任者として勤務したこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

二  そこで、まず、退職金請求の点について判断する。

原告は、退職金請求権発生の根拠として、昭和四三年六月の原告と被告との雇用契約に際し被告が退職金を支払う旨約した、と主張している。そして、原告本人の供述中には、昭和四三年八月に被告が原告を本採用するに際して、被告代表者杉浦津恵子は原告に対し、退職した場合には、退職時の一カ月分の賃金に勤務年数を乗じた金額の退職金を支給することを口頭で約したとの部分が存在する。しかしながら、退職金請求権は使用者がその支給の条件を明確にして支払を約した場合に初めて法的な権利として発生するものと解されるところ、原告本人尋問の結果及び被告代表者杉浦津恵子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、被告会社には退職金の支給を定めた就業規則はないこと、被告会社ではこれまで従業員に退職金を支払った事例が存しなかったことが認められ、また、いずれも成立に争いのない(書証・人証略)の結果によれば、被告代表者杉浦津恵子は原告に対して、「あなたはよくしてくれるからちゃんとしてあげなければ」としばしば述べ、着物や絵などを贈与していたことが認められ、このような事情からすれば、被告代表者杉浦津恵子は原告の仕事振りに常々感謝して何らかの形でその労に報いたい旨を述べてはいたが、原告を雇用するに際しては、法的な権利義務を発生させる意味において退職金支給の明確な約定まではしなかったのではないかとの合理的な疑いがあり、原告本人の前記供述部分は、雇用に際して明確な退職金支給の約定が存したことを認定する証拠としては、にわかには信用することができない。他に退職金請求に関する原告の主張を認めるに足りる証拠は存在しない。よって、原告の退職金請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当である。

三  次に、賃金請求の点について判断する。

原告及び被告代表者杉浦津恵子各本人尋問の結果によれば、被告は、東京都港区新橋二丁目二〇番一五号所在の新橋駅前ビル二階において「クラブ鶴」を、同ビル地下一階において「新まき」を経営していたこと、「クラブ鶴」はいわゆるバーで、営業時間は午後六時ころから一一時ころまでであり、一方、「新まき」は昼食時に定食を提供し、夕刻以降にはいわゆる小料理屋として営業していたこと、原告は「クラブ鶴」の責任者として勤務していたが、被告代表者杉浦津恵子から「人手が足りないので『新まき』を手伝ってほしい」との要望を受けて、昭和五五年一月七日から「クラブ鶴」の外に「新まき」の仕事をもするようになったこと、原告は「新まき」では午前八時ころから午後三時ころまで勤務し、その仕事の内容は料理の材料の仕入れ、客に出す料理の調製などであったこと、原告の「新まき」での仕事は、同店が閉鎖された昭和五六年五月三一日まで続けられたことが認められ、この認定に反する証拠はない。更に、原告本人尋問の結果によれば、原告は、「新まき」を手伝うに際して被告代表者杉浦津恵子から世間一般並みの賃金を出す旨を約束されたことが認められる。被告代表者杉浦津恵子は、原告が「新まき」を手伝うに際して賃金を支払う約束は一切なかったと供述するが、前記認定のように、原告は、以前から従事していた「クラブ鶴」の仕事は従前どおり行う外に、新たに「新まき」での仕事をも行うようになったのであるから、新たに付け加わった仕事に対して何らの報酬を支払うことなく、いわば無償で依頼したとすることはいかにも不合理であり、右の供述は信用できず、他に賃金支払約束があったとの認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで、右の賃金の額について考えてみると、右にいわゆる「世間一般並みの賃金」とは何を指すかが問題となるが、前記認定のような原告の「新まき」での勤務の時間及び仕事の内容からすれば、原告の主張するように、全産業女子労働者の賃金の平均額によることも一つの合理的な考え方と解されるので、この額によることとする。(書証略)によれば、昭和五五年度における右賃金の平均額は月額金一五万二九〇〇円(毎月きまって支給する現金給与額一二万二五〇〇円に年間賞与その他特別給与額の一二分の一である三万〇四〇〇円を加えた金額)であることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

そうすると、原告の「新まき」における勤務の期間一七カ月間の賃金の額は金二五九万九三〇〇円となるところ、後記の反訴に対する判断で認定するように、「クラブ鶴」の顧客から集金した売掛代金三六万七六七〇円を右賃金に充当したので、これを控除した金二二三万一六三〇円につき賃金請求権を有することとなる。よって、右金員及びこれに対する弁済期の後である昭和五六年九月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は理由がある。

(反訴請求について)

一  被告が飲食店、風俗営業バー等の営業を目的とする株式会社であること、原告は、もと被告の従業員であって、被告の経営する飲食店「クラブ鶴」の責任者として、客の接待、従業員の監督、売掛金の集金等の業務に従事していたこと、及び原告は、「クラブ鶴」の顧客から被告のために、昭和五六年七月上旬から同年一二月二六日までの間に合計金五八万七六七〇円の売掛金を集金したことは、当事者間に争いがない。

二  次に、右の金五八万七六七〇円のうち、金二二万円が被告に入金されていることは被告の認めるところである。そして、(書証・人証略)によれば、残りの金三六万七六七〇円については、原告が集金のたびごとに被告代表取締役杉浦津恵子の承諾を得て前記「新まき」での勤務に対する賃金に充当したことが認められ、この認定に反する被告代表者杉浦津恵子本人尋問の結果は信用できず、他にこの認定に反する証拠はない。

そうすると、原告が集金した前記金員について被告に納付すべき義務は存しないものというべく、被告の反訴請求は失当である。

(結論)

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は金二二三万一六三〇円及びこれに対する昭和五六年九月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、被告の反訴請求はすべて失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 今井功 裁判官 杉本正樹 裁判官 原啓一郎)

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